あけぼのコミュニティー教会
2016年10月 聖書のことば
「ならないもののために、
正しい仕事に励むように
教えられなければなりません。
それは、実を結ばない者にならないためです。」
テトス3;14
有名な元野球選手Kが、覚せい剤の所持と使用で逮捕されました。多くの球児たちが
彼に憧れて同じ道を道を目指したそうです。
彼自身も、数年前に、覚せい剤疑惑の報道がされた後、ヒットを打って、覚せい剤を
打つなというような標語のポスターになりました。
逮捕された場所は、家賃50万以上のビルの高層階にあるマンションだったとか。
華々しい経歴と、高額な家賃のマンションに住める収入。多くの人の憧れと名声。
しかし、その背後で、家族と別れ、子供たちにも年に数回しか会えないという寂しさ。
だからと言って覚せい剤の罪が許されるわけではありませんが、屈強に見える
体の中にあるとてつもない孤独を感じないわけにはいきません。
何かを得るために失うものの代償は、人それぞれの状況によって違います。しかし、
失った後に気付くものが多いことは事実です。
彼が得ようとしてのは、筋骨隆々とした強さだったのでしょうか。その代償として薬漬け
となったのではないかという憶測が流れます。
番長という代名詞に表現された自分を守らなければならないために、体や心に傷をつけ
たのでしょうか。
会えないと言って、寂しがるほど大好きな子供たちと、その子供たちをともにはぐくむ妻と
別れてまで、彼は何を得ようとしたのでしょうか。
彼が人として、取るべき責任は大きいでしょう。
しかし、神の前に立つべき人間として、私たちは改めて誰の中にも潜む問題に目を留め
たいと思うのです。
私たちが何かを失ってまで手に入れようとしているもは、本当に私たちに必要で、なくては
ならないものでしょうか。
誰もが彼ほど有名で活躍したわけではありません。しかし、今回の彼の事件を通して、
私たちに本当に必要なものは何かを考えてみたいものです。
確かに、人は何かを得るために、努力をし、何らかの代償を払わなければならないものです。
しかし、本当に得なければならないものが何であるかを知ることが大切です。
箴言は次のように言っています。
「わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて恐慌があるのにまさる」
箴言15:16
「主を恐れる」こと。それは、神が最終的な恵みや祝福の付与者であることを認めることです。
また、自分自身が最高決定権を持つものではなく、絶えず、私たちの目の前に、仰ぎ望むべき
存在を認めることです。
その方が与えてくださるものの中にある最善を受け止めることのできる心。これこそ、私たちが
持つべき最も大切なものなのです。
この方を知るときに、私たちはヨブのように言うことができるのです。